人材育成の道すがら

人材育成の道すがら、考えたこと・気づいたことを書き綴ります

部下を優秀な人材にする教え方

ビジネストレーナーの安部です。大分のユーグレードで、研修プロデュースや人材育成に関するコンサルティングをしています。

 

実は、新しいブログを開設しています。はてなは1つの無料用IDで3つのブログを開設できます。その機能を使って「部下育成」限定のお話を新しいブログで展開しております。

ugrade.hatenablog.com

 

なぜ、こんなことをしたのでしょうか。

 

社会人として仕事を始めてから、ずっと思っていたこと。それは、会社に勤めていると必ず「部下を育成する」という仕事が発生すること。誰も「教え方を教えてくれない」ということ。そして、「部下にいろいろ教えるやり方は誰も知らない」ということ。

 

だからこそ講師という商売が成り立っているのかもしれません。

 

でも、常時、講師を雇えるのは、一部の大きな会社だけです。専属の講師を育成するという方が早いでしょう。

 

また、数日間、プロの講師に来てもらえるのは、一部の少し規模の大きな中小企業だけです。

 

大半の、おそらく、9割近い小規模な企業では、講師に来てもらうことすらできないでしょう。だからといって、部下を育成しないのであれば、現状のままです。現状のまま、ということは上に上がっていくことはありません。

 

もっと言えば、上に上がらないということは、尻すぼみになっていく可能性が高いのです。今の世の中、成長し続けなければ存続できない風潮になっています。社員も同じです。部下を成長させ続けなければ、いずれその部署は消えていく運命なのかもしれません。

 

以前もお話ししましたが、最初に入社した会社で3年目となった春、新卒の後輩の教育担当になりました。その際、苦悩しました。どうやって教えれば良いのか、どこまで教えれば良いのか、効果的に教える手順は何か。誰も答えてくれません。

ugrade.hatenadiary.jp

 

そこから、ずっと疑問に感じてきていました。部下を育成しなければならないのであれば、その育成方法は何なのか、と。

 

もちろん、相手が人間であるからこそ、これが「正解」というものがないのはわかっています。でも、正攻法、セオリーくらいはあるはずです。

 

しかし、それを誰も知らない、知っている人に出会わなかったのです。

 

そのことが私にとって強く問題として認識しました。

 

「人に教える」というのは、決して簡単ではありません。

 

まだ、数十年前であれば、人材を時間かけて育てていく時間的余裕がありました。その時代であれば「俺の背中を見て学べ」といっても十分に通用したのです。何十年かけて一人前にすれば良いのですから。

 

でも、今はそんな時代ではありません。

 

気がつけば、世界のどこかのライバルがお客様を奪っていく、という時代です。ノンビリ人材を育てている時代ではなくなったのです。

 

早く一人前にしなければならない、というのが、今の社内の現場の実情です。

 

では、効率的に人を育てる手法は何でしょうか?

 

そんな魔法のような手法は現実的にありません。ですが、セオリーはちゃんとあります。

 

もう一つのブログ「部下を優秀な人材にする教え方講座」では、そのセオリーをまとめて文章化しています。現時点(2018年8月13日現在)では途中ですが、このブログと交互に書いていく予定にしています。ブログは週1回の更新ですので、2週間に1回の更新頻度になります。

 

こちらのブログは、自分も含めた人材育成全般に関すること、もう一つのブログは「部下育成」に焦点を合わせたブログです。

 

もしご興味がある方は、ぜひお読みください。なお、一足早くコツが知りたいという方は、メールセミナーを完成させておりますので、そちらをお読みいただければと思っています。(メールセミナーのリンクをクリックすれば、メールアドレス登録フォームが開きます)

 

それでは、今日はこの辺で。

www.ugrade-japan.com

畑と人材育成の共通のコツ

ビジネストレーナーの安部です。大分のユーグレードで、研修プロデュースや人材育成に関するコンサルティングをしています。

 

少し前に旦那の実家が小さな農家だという話をしました。今日はそこでの話をします。

 

旦那の両親は同居時60歳代だったのですが、それから20年余。義父は90歳を超え、義母は80歳代半ばを過ぎました。もう立派な(?)後期高齢者です。

 

義父は昨年の秋ごろから体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。90歳を超えてもなお畑を耕し、車を運転し、元気にしていましたが、さすがに年齢的に限界が来たのでしょう。

 

 

今は同居をしていないので、週一戻って、旦那の実家の様々な雑用を片づけています。その中でも大きなものが、畑仕事です。平日は義父の介護で疲れた義母の趣味の一つとして畑仕事があります。以前より家の隣の土地を借りて畑にし、野菜を作っているのですが、本来は車で5分ほどのところに畑があります。

 

家の隣の畑が、おそらく家庭菜園程度(田んぼ1枚くらい)とすると、本来の畑はその4倍の広さです。超ド素人が担うには、広すぎます。その中の3分の1で野菜を作ることにしました(残りのうち、3分の1は以前より田にしており、その他は今は雑草地帯と化してます)。

 

私は家庭菜園すら作ったことがない、超がつくほどのド素人です。まあ、植えたものを枯らすほどの人間ではありませんが、実力的にはほとんど変わらないでしょう。

 

義母が作った苗を植えて大きくする、というのが主な仕事です。

 

今までの収穫は、玉ねぎ、ジャガイモ。今から収穫できそうなのが、カボチャ、大根、枝豆、ニガウリ。もう少しなのが、サツマイモ。

 

そして、この猛烈な暑さでやられてしまいそうなのが、レタスとキャベツ、ブロッコリ、ナス。ナスとキャベツは半分の苗が消えました。。。(orz)

f:id:ugrade:20180730135135p:plain

レタスです。暑さで病気になった葉っぱを全部取りました。苗ごとダメになったのも取りました。ところどころマルチの穴があるだけなのが、取ったり消えたりした苗の後です。うーん、育てるの、難しいです。

 

きっと、今ふさふさしている苗も暑さでやられて、ダメになるだろうなぁ。。。(涙)

 

慣れない畑仕事をしながら、熱中症や脱水症状にならないようにしながら、今は猛烈な勢いの雑草と格闘しています。

 

ただ、野菜を育てながら、人材育成のこともあわせて考えています。同じ手法がとれるのかどうか、ということ。

 

特に義母は教え方が下手です(汗)。もっとも「教える」ことを商売にしてきたはずですが、畑の作業に関して「あそこをこうしてこうやって、こうなればこうする(原文ママ)」しか指示がないのです。

 

「あそこってどこ?」

「こうするってどうする?」

「こうやるのはどうする? なんでこうする?」

「どうなればどうする?」

 

と一つ一つ疑問を投げかけながら、横道に逸れそうな義母の話から必要な内容をくみ取って理解していく作業が必要です。

 

畑に鍬を打ちながら、義母の言葉を思い出しながら、ふと、会社員時代に部下に同様な指示を出していた自分を思い出して可笑しくなります。

 

説明する側はきちんとイメージができているのですが、意外と伝わらないんだ、と。特に今は私が超ド素人なので、超ベテランの義母からして、私の「わからない」ところが「わからない」状態なのだろうな、と思うのです。

 

義母は最近、家の隣の畑を自分の畑としてターゲットインしたようなので、本来の畑にはほとんど来ません。ただ、60年以上耕してきた畑ですから、隅々まで記憶に入っているのは確かです。それを一つずつ引き出していくことで、義母が生きてきた人生を知ることになるんだろうなぁ、とぼんやりと思っています。

 

さて、鍬を打つのも人生初な私。まず、野菜を植えるために畝を作る、という作業があることを、今回初めて知りました。どれくらいの深さを掘れば良いのかも分からないので、とにかく他の畑を観察するのみ。

 

義母の「これくらい」というサイズ感を体に写し取ってするけれど、どう考えても狭すぎたり高すぎたり、サイズ感が合わないのです。特にマルチ(黒いビニール)をかける際は、マルチのサイズを考慮しなければならないのです。

 

最初に作った時は、60センチと思って作った畝が、95センチ幅のマルチを遥かに超えるサイズになっていたので、もう笑い転げるしかありませんでした。

 

サイズって大事。と思いつつも、それよりも何よりも、やってみることが大事、ということを実感しています。何しろ、やったことがないと、イメージできないのです。

 

マルチをかける畝も、次の手順がわかれば、整形する際にどうしたら良いのかがわかります。容量が良くなるというのが、こういうことなのだなぁ、と良くわかりました。

 

そう言いつつも、大根が大きくなりつつあります。

f:id:ugrade:20180730134443p:plain

 

私は「転んでもただでは起きない」性格です(笑)。

 

野菜作りを学びながら、作業を行う人材が学びやすい、成長しやすい育成手法を考えてます(笑)。

 

今日のポイントは、

  • こそあど言葉で指示しない(これが、そこで、ああやって、どんな感じ?はなし)

ってことですね。

 

それでは今日はこの辺で。

www.ugrade-japan.com

引き籠りの上半期(汗)

今週のお題「2018年上半期」

 

上半期の振り返りをここ数日していました。

大分で研修プロデューサーをしているユーグレードの安部です。

 

ビックリするほど、上半期は「引き籠って」ました。

 

昨年末、「2018年は学びの年にしよう」を決めたので、1月から学習できる研修やセミナーに積極的に参加していました。そこで、「学ぶ」ことに必死になりすぎて、気がつくと毎日、受験生のように課題に取り組んで悩む日々が続いておりました。

 

特に3月、4月が自分でも暗かった気がします。

 

5月のゴールデンウィーク明けにようやく「学ぶ」ことに光明を見つけ、ひとつの小さな到達点にたどり着いた感がありました。

 

本来なら、このブログを一旦終了し、新しいブログは引き継ぐ予定だったのですが、それができなかったのも、悩むことに忙しかったからです。

 

5月に、「あ、そうか…」とすとんと何かが腑に落ちてから、6月にはわかった内容を形にするのに時間を費やしてしまいました。

 

この半年間でわかったこと。

  1. イメージだけでは他人は理解できても納得してくれないこと
  2. 明確な文章なり形なりがあってこそ「価値」が生まれること
  3. 「わかる」と「できる」には大きな差があること

 

とても抽象的な話なのですが、このブログではこれを具体的に表現するには今までのコンテンツが多すぎるのです。

 

そこで、同じはてなブログさんに新しいブログを開設しました。

 

こちらのブログは、今まで通りではなく、月1回程度の更新になりますが、より私的な考えを記述していき、ビジネス的な内容は新しいブログで展開することにしました。

 

昨年、このブログを始めてから、ほぼ1年の間、今までになく文章を書き綴る日々を送っています。

 

若い頃は文章を書くことが好きで、ずっと書いていたのですが、育児や仕事に追われるようになると書かなくなりました。

 

それがこの1年は、文章書き三昧の日々です。

 

別に作家になろうなんて考えているワケではありません。

 

単純に私の頭の中のイメージを表現すると、文章になる、というだけの話です。

 

でも、上半期でわかったように、イメージだけでは、他人に伝えられないのです。だからこそ、文章を書く必要があるのだ、と痛感したのです。

 

これからは「文章を書いて、それを読む方に価値として提供する」ということをやっていこうと考えています。

 

そのためにも読書しなきゃ。。。

f:id:ugrade:20180706133639j:plain

それでは、今日はこの辺で。

新しいブログができていません

新しいブログを作るぞー!

 

と意気込んだのは4月の終わり。。。

 

もう6月。

 

例によって時間の流れは速いです。

 

実は、個人事業主となってから「初」と言っていいほど
悩んでました。

 

暗いトンネルをずっと手探りで歩いていたような気がします。

 

ようやく明るいところに出てきました。

 

世間は夏になろうとしていますが、
私の心はようやく「春」です(笑)

 

でも、これから先に進めそうです。

 

ブログ再開までは、もう少し時間がかかりますが、
人材育成のブログ、
再開します。

 

新しいブログのIDを取って
設計して
エントリーをいくつか書いて


でも、投稿することなく
埋もれています。

 

他のメディアに
すでに1万字程度は書いてます。

 

後は発表するだけなんですが・・・

 

トンネルから抜けたとたん、
何か目の前がずいぶんと開けてきた気がします

 

抽象的ですみません。

 

いつかきちんと文章にして

お話しします。

 

でも、全然更新していないこのブログの
アクセス数だけは
全く変化していない、
という不思議な現象。

 

何だか勇気をたくさんもらいました。

 

f:id:ugrade:20180111093752j:plain

 

アクセス分析をしなければ・・・(苦笑)

 

皆さま、
本当にありがとうございます。

 

これからもよろしくお願いいたします。

女子が働くということ

数年前からいくつかの大学や高専でIT業界についての話をしています。聞いている学生は情報系の学部だけではないのですが、一番熱心に聞いてくれるところがあります。それは、産休の話。

 

IT企業は比較的社長の年齢が若く、社長の奥さんさえ他の企業の社員という方もいます。そういったところから、女性が働きやすくなるための制度である産休に対してあまり抵抗感がないのか、当たり前な感覚が社内にありました。

 

そのことを話すと、女子学生の顔がパッと輝くのです。へぇー、良いなと。

 

最近は、女子学生だけなく男子学生の顔も輝くので、意識が変化しつつあるのかな、という感じを受けています。

f:id:ugrade:20180104223617j:plain

 

私がこのテーマを取り上げるきっかけとなった『Lean in』の本で、「序文 日本語版に寄せて」を川本裕子氏が書いている。

最近、日本の就活する女子学生は「幻の赤ちゃん」を抱いて就職活動をしている…

子どもも夫も、恋人もいないのに、将来子育てをしながら働くことを想定して両立できるかを心配している女子学生のことだそうです。まさしく私の話に反応した女子学生たちのことだと思いました。

 

私が学校を出て就職活動をする時は、結婚したら辞めるというのが前提だったので、全く意識したことがありませんでした。でも、先日テレビで街頭インタビューを受けていた学生も制度のことを気にしてました。

 

こんな女性は日本だけかと思っていたら、『Lean in』の本文の中でも取り上げられており、アメリカの若い女性も同様のことを気にしているとのこと。アメリカでは、男女平等なんてとっくの昔に成立していたと思っていたのですが、そうではないことがわかりました。

 

そういえばアメリカ映画で、父親が出かける時は息子に向かって「お母さんのことを守るのはお前だ」みたいなセリフがあります。日本映画では逆で、妻に「子ども達のことを頼む」と言って出かけます。

 

最近は「#MeToo」ということも出てきましたね。

 

意外と世界的に女性は男性に比べると大変な目にあっているようです。

 

それだけではなく、『Lean in』の著者シェリル・サンドバーグ氏も述べているように女性の心の中にも「女性は男性より劣っている」という意識があり、それが女性の自信を失わせていることがあると思っています。

 

女性部下の言う「できません」の意味についての記事がありました。

tech.nikkeibp.co.jp

 

これは自信がないからリスクを回避するために「できません」と言っていると私は考えています。女性は比較的リスクに敏感です。これも、女性の性質というより、「そんなことをしたらお嫁に行けなくなる」と言われ続けたことが起因しているように感じています。

 

女性だからできないと考えることこそが、先週、私が話した社会的雰囲気です。これは男性の心の中にも女性の心の中にも存在して、女性の行動を制限しています。しかも潜在的に存在しているので、本人も気づかないまま、他の女性にも知らず知らずのうちに影響を与えてしまっているのです。

 

そう考えると、女子学生が産休制度に喰いつくのは、少し悲しい気がします。同じく喰いついてきた男子学生は、ぜひともこれからもその思いを胸に頑張って欲しいです。

 

是非とも男女が自分の能力を存分に発揮して、自分の人生を楽しく生きられるような会社がたくさん出てくれば良いなと考えています。

 

このテーマはいったんここで終わりにします。下書きが4つ以上残ったままです。こんなに苦労したテーマは他にありませんでした。書きたい想いはたくさんあるのに、文章にすると思うように書けないジレンマで苦しみました。

 

4月の上旬は少しお休みします。

 

実は、はてなブログから違うブログサービスへ移行を考えています。はてなブログの機能を良く調べずに使い始めてしまったためです。私が欲しい機能がなく、ツールを組み込もうとしたのですが、英語Onlyのツールのため諦めました。。。(苦笑)

 

その準備のためのお休みになります。

 

再開したら、Facebookやその他でお知らせします。こちらにもリンクは貼りたいと考えています。

それでは、今日はこの辺で。 

www.ugrade-japan.com

女子は文系だという雰囲気

先日、非常勤講師をしていた学校の卒業式があり、謝恩会に招待されたので出席してきました。

 

工業系なため非常に女子学生の数が少ないのです。それはとても残念な気がします。でも、私自身も学生だった頃、自分は「文系」人間だと思っていたので、あまり人のことは言えませんね(苦笑)

 

どうして女子は「理系」科目が苦手なんでしょうか?

 

おそらく得意だ、という人もたくさんいると思います。

 

私自身、数学や物理という科目はとても好きでした。でも、できる方ではありませんでした。理屈として、できないから「文系」と決めていたような気がします。

 

でも、今、お話させていただく方からは「理系ですねー」と良く言われます。

 

前の会社に勤めていた時、エンジニア志望の方から「(自分は)文系の学部卒業なのですが、ITエンジニアになれますか?」という質問を大変たくさん受けました。

 

IT系の企業の場合、例えば半導体の設計を行うような会社やハードウェアに組み込むためのプログラムを書く会社の場合は、理系(というより工業系)の学部を卒業した方の方が良いと思っています。 前提として金属の素材や化学・物理の知識が必要だからです。

 

でも、会社の基幹システムを作るソフトウェア会社の場合は、理系・文系は全く関係ないと考えています。

 

むしろ、文系の方が良い場合もあると思っています。

 

理由は単純です。作られたシステムを直接使うのは、ほとんどが文系の方々だからです。基幹システムを作ってもらった会社の社員は営業マンだったり経理マンだったりします。彼らは経済学部や文学部などの出身者が多いわけです。そういった方々が使うものを作るには文系の方の方が適している場合があります。

 

何が「文系」「理系」を分けるのでしょうか?

 

それよりも「文系」「理系」とはどう定義されるのでしょうか?

 

世の中は、出身の学校でどんな学問を学んできたのかで分けているような気がします。文学部だったから「文系」、工学部だったから「理系」と。あるいは、数学が得意だったから「理系」、英語が得意だったら「文系」とか。

f:id:ugrade:20180321143427j:plain

 

でも、私にはどちらかというと、結果に着目するか、プロセスに着目するかの違いのような気がしています。

 

 

実は良くソフトウェアを操作している時に、差が生じてきているのを見かけます。同じソフトウェアを操作して結果が思ったようにならない時の反応が、二分されていたような気がするのです。

 

  1. 〇〇が××にならなければならないのに、◇◇になったと反応する人
  2. 〇〇が◇◇にならなかったよ。やり方が違っていたのかな、と反応する人

 

1.のパターンで反応する人は良く理系と呼ばれている人たちです。結果が想定と異なることを指摘し、想定と結果を比較しながら結論を出していくタイプです。まるで実験をやっているような感触です。

 

2.のパターンで反応する人は良く文系と呼ばれている人です。結果よりプロセスに着目した反応を示すことが多いです。

 

もっともこの反応の分類は、私の体感的なものです。パソコン教室をたくさんしてきた時に想定と異なる結果が出た時の反応を思い起こしてみました。すると、たいてい上記二つに分かれるのです。

 

指導方法も二種類です。

 

1.の方には、間違った原因を指摘します。投入するデータの違いや処理方法の違いで結果が異なったのだと理解すると、進み方が早くなります。

 

2.の方には、もう一度プロセスをなぞってもらいます。そうしていきながら結果が異なることになった原因を探っていきます。そうすると理解が早いようです。

 

 

女性が文系が多いのは、単純に理系の科目を喰わず嫌いしているだけではないかという気がしています。今までの受講者の中で両方のパターンとも男女比はほぼ同率です。そんなに文系タイプに女性が多いとは感じていません。

 

良く言われるのが、女性(というより母性)は、理屈抜きの存在である幼子を育てる役目上、結果よりもプロセス重視だということ。私もつい最近までそう思っていました。

 

だって、プロセス重視でなければ、「食事をする」という結果だけを見れば、手づかみだってOKなわけです(笑)。ただ、それは父性も手づかみNGですよね。あんまり関係ないと今では考えています。

 

それよりも「女の子は理系より文系」という「社会的な雰囲気」で「文系」を選択している女性が少なからずも存在するのでは、という気がしています。私が高校時代も「女子だからやっぱり文系だよねー」という言葉を何度聞いたことか。私自身も発していた記憶があります。

 

この社会的な雰囲気というのが、結構曲者だと私は考えているのです。

 

実は、予定では、女性と管理職についてお話しようと考えていたのですが、行きつくところ社会的な雰囲気の話をしてからの方が早いかな、と思って、この話を先にしました。

 

私が、女性は25歳までに結婚した方が良い、と思っていたのも、会う人会う人に言われたわけではありません。そういうものだよね~~~という暗黙の何かがそこに存在していたのを感じ取ったからです。

 

女性が家事をした方が良い、というのも、暗黙の何かがそう思わせていました。

 

生まれてから疑問に思ったことがありませんでした。そういう雰囲気に包まれていたら疑問に思わないものです。

 

でも、体調を崩して、どうしようもなくなった時、そして、社会情勢が男性も家事をしようとなっていた時期でもあったため、旦那に家事を任せるという行動に出ました。

 

そうでなければ、気づかないまま、過労死していたかもしれません。

 

今、女性がセクハラ問題に声を上げ始めています。これも、少し前まで、「声に出してはNG」と思われていた社会的な雰囲気に包まれていたから声を上げられなかったのです。今、それは間違っていると気づいたから声を上げ始めたと考えています。

 

日本は女性管理職が少ない、と言われ続けています。政府も増やす政策を出していますが、なかなか増えない。これも会社内に逆の方向を持った社会的雰囲気があるからだと私は考えているのです。

 

それでは、今日はこの辺で。

www.ugrade-japan.com

ハチとコンピュータ(笑)

2月16日に更新して以来、更新をサボっていました。気がつくと1ケ月経っていたのですね。。。あうあう。

 

何か一言、この場で書いた方が良いとは思っていたのですが、それをする気力も出ないまま、今日に至ってしまいました。

 

言い訳させてもらいますと、最大の原因は花粉症です。昨年、突然発症したのですが、今年は急激に悪化。お会いする人の3割ほどが「私も花粉症です」と言われるのですが、マスクをしていない状態で本当に心配になりました。だって私がマスクをしていた理由は、鼻水が自然と流れ出るからです。ダムが決壊したごとくに・・・

 

というわけで、薬を飲んでもなかなか、の状態が続き、その上、昨年末から徐々に痛み始めた様々な箇所の関節の痛みの悪化もあって、パソコンの前に座ることが嫌になってました。

 

今はようやく落ち着きを取り戻しつつあります。

 

下書きはいくつか、すでに書き上げたものもあるのですが、本日は趣向を変えて、少し異なるお話をします。

 

我が家には一匹のネコがいます。名前を「ハチ」と言います。ネコなのに「ハチ」です。忠犬ハチ公ではなく、忠猫ハチ公です(^^;)

 

そんなウチのネコですが、本当にビビりな性格です。

 

普通ビビりなネコは神経質なので、人に懐かないと言われています。ウチのネコも人懐っこくはありません。ただ、自分の家族と思っている人間に対しては非常に慣れ慣れしい態度を取ります。

 

旦那と私がコタツでテレビを見ていると、コタツに下半身を入れたウチのネコが前足を枕にしてテレビを見ています。一瞬、「あれ? 誰かいたっけ?」と思えるような人型の恰好になってます(笑)

 

先日、書類を数えていました。最初は声を出さずに数えていたのですが、「・・・六、七、八・・・」と途中から声を出していたのです(自分では気づきませんでした)。

 

すると、「にゃ?」と振り向くウチのネコ。

 

最初は私も「何?」と思ってネコを見たのですが、どうやらウチのネコは自分が呼ばれたと思って返事をしたようでした。それを理解してから、ずいぶん和まされました(笑)

 

ところで、先日NHKの番組で養老孟司先生が、ネコは絶対音感だ、とおっしゃっていました。どういうことか、というと、私が「ハチ」と呼ぶ声と、ウチの旦那が「ハチ」と呼ぶ声は違ったものとして聞こえているということです。音階が違うためです。

 

単純にそうなんだ、と思っていましたが、これは実は、今流行りのAIに説明に使えるなあ、なんて考えてました。

 

コンピュータは女性の声の「ハチ」と男性の声の「ハチ」は違うものとして認識します。ここのところはネコと全く同じなわけです。同じものとして認識するには、文章化して同じである、と認識させる必要があるわけです。今のコンピュータは文章化するくらいは簡単にできますので、ネコよりは頭が良いのかもしれません(笑)

 

ですが、今度は、数字の「ハチ(8)」や昆虫の「ハチ(蜂)」、植物を植える「ハチ(鉢)」との違いを認識させることが難しくなります。そこで文脈(コンテクスト)が必要なわけです。その場に一緒にいた人間であれば、ネコを呼んだ名前かそれ以外なのかはわかりますが、コンピュータはその場にいてもわかりません。

 

どういう文脈で「ハチ」という言葉が使われたのか、を情報としてインプットしてやることが必要です。

 

ところが、今までの考え方であれば、さまざまな情報をコンピュータにインプットしてやらなければならないのです。ネコを呼ぶ際の前後の言葉群や時間帯、声の調子、声の強弱など様々な情報をデータとして登録する必要があります。その他にネコの鳴き声や場所のデータなども必要かもしれません。

 

そうしなければコンピュータは判断する基準がなく、ネコの名前なのか数字なのかが判別できません。

 

AIもコンピュータなので、ネコと同じ性質を持っています。ところが、今までのコンピュータと違うところは、学習機能がある、ということです。

 

我が家にはネコは一匹しかいませんが、家の外を歩くネコがいます。いわゆる放し飼いのネコです。それらはウチのネコとは毛の色も歩き方も違いますが、ネコはネコです。人間はある程度の年齢になるとそう判断できるようになります。でも、コンピュータにはそれが難しいわけです。

 

ネコが絶対音感で私の声と旦那の声とでは違うと認識するように。

 

ところが、そうだといつまで経っても人間の代役としてコンピュータが使えません。そこで、最近話題のAIは、「体長40~50cm程度の4つ足で、しなやかな歩き方をし、ニャーとなく生物をネコという」といった情報を入力され、どんなネコでも「ネコ」と判断できるようになりました。

 

ただ、今まではそうするために人間があらゆるデータを入力する必要がありました。それだと時間がとてもかかります。「モレ」も出てきます。

 

そこでコンピュータが自動的に学習するようにプログラムされたのがAIの機械学習です。学習方法は、どんなネコでもネコと判断できるように特徴的なデータを取り込みます。様々なネコの写真や動画を見せてネコと教えるわけです。人間の子どもの学習と同じですね。

 

たくさんのデータを取り込むことで判断ミスが減っていき、認識の確度が上がっていきます。そうしていくうちに、徐々にAIはネコを判断(というか推測)できるようになっていくのです。

 

f:id:ugrade:20180315161058j:plain

 

上のようなグラフは見たことがあると思います。これは2次元のグラフですよね。これにZ軸があれば3次元になります。軸をどんどん増やしていくと多次元になります。

 

その軸一つ一つに基準があり、「ハチ」という前に「ウチのネコ」という軸があれば、この「ウチのネコ」の軸に寄った場所に「ハチ」という言葉が位置することになります。しかも、繰り返し同様の現象があれば、何度もほぼ同じ場所にプロット(その位置に印を付けること)していきます。

 

このような軸をたくさん用意して、「ハチ」という音声一つ一つをプロットをしていくわけです。そうすると、ネコを呼ぶ際の「ハチ」という言葉は同じような場所にたくさんプロットされていき、それが一つのカタマリになっていくというわけなのです。

 

もちろん、2次元ではありませんので、空間上にカタマリがあるイメージです。ただ、複数の軸がある多次元の世界であるため、空間的というより更に複雑な世界になりますが。

 

他の「8」「蜂」「鉢」では、違う場所にカタマリになるので、この「ハチ」はネコの名前を呼んだ、と推測できるわけです。

 

多次元というのはこの判断基準の軸をいっぱいにしていく作業ということですね。

 

あ~、難しい、と思われるかもしれませんが、AIの学習は、人間と同じような学習をしているんだなぁ、と思っていただければよいでしょう。人間の子どももたくさんのネコを見て、親が「ネコ」と教えるから、どんな毛色のネコも「ネコ」といえるようになります。

 

ネコの話からAIまで発展してしまいました。来週からはもう少しマジメに更新していきますので、読んでいただけると嬉しいです。

 

それでは、今日はこの辺で。 
www.ugrade-japan.com