Ugrade 人材育成の道すがら

人材育成の道すがら、考えたこと・気づいたことを書き綴ります

昔、年功序列はあったのか?

ビジネストレーナーの安部です。大分のユーグレードで、研修プロデュースや人材育成に関するコンサルティングをしています。

 

それにしても先週の木曜日のセミナー後から金曜日の祝日の一日はのんびりとした休日を過ごしました。良いですねぇ、お休みというのは。。。

 

さて、今週は年齢と社歴についてお話しようと考えています。

 

年齢と社歴という話は想定通り「年功序列」に繋がります。年功序列は、会社に新卒で就職して定年退職するまでの間に、徐々に職責が増し、それに伴い給与も増していく制度です。日本独自の制度と良く言われます。

 

新卒で入社した時は給与が安くても、やがて給与額が上がるということなので、社員は安心して働くことができます。当然、長く働くことへのインセンティブになります。

 

私の父親はある企業のサラリーマンでした。それなりの規模の会社で、その中の一つの工場に勤務していました。工場は24時間365日稼働していたため、三交代のシフトの中に組まれており、夜勤もある勤務体制でした。

 

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父は戦前生まれであり小学校までしか出ていませんでした。それが会社で勤め人をしていることが彼なりの自慢であり、誇りでもありました。そして、よく自宅に会社の人が遊びに来ていました。父は大学卒の若い人たちを夕食に誘うのが大好きでした。

 

その頃、私たち家族は会社の社宅に住んでいました。社宅といっても当時たくさん建てられていた鉄筋コンクリート四階建てのアパートで、全部で9棟ありました。

 

私は9号棟に住んでいました。同級生で仲の良い友だちは皆4号棟より数字の大きな棟に住んでいました。毎日、社宅の中にある公園で暗くなるまで遊んでいたことを覚えています。

 

 小学校3年生ごろでした。同じクラスに同じ社宅に住んでいる子がいたのです。今まで顔をあわせたことがない子でした。おそらく転校生だったのでしょう。その子は私たちが話す方言ではなくNHKのアナウンサーのような綺麗な言葉をしゃべっていました。その子は1号棟に住んでました。

 

そこで初めて、1号棟から3号棟と4号棟以下の社宅で、明らかに何かが違うことに気づきました。1号棟から3号棟は、東京の本社から転勤してきた家族が住んでいるアパートです。そして、4号棟以下を見下ろす位置に建っていました。

 

会社の中でも大卒か高卒で、出世コースに乗った人は東京の本社に勤務し、たまに地方都市にある工場へ転勤して来ていました。そして、地元採用された中卒までの人はずっと工場勤務であり、シフトの中に組み込まれていたのです。

 

自宅に遊びに来ていた大卒の若い人たちが歳をとって、工場長となって帰ってきていることを私は数十年後に知ります。父が定年間近になっても絶対になれえなかった工場長の地位。その頃には年功序列という言葉を知っていましたが、父にはそれが当てはまることはなかったんだ、ということを知りました。

 

もちろん、入社当時から同じ給与額だったはずはありません。毎年それなりの昇給はあったと思われます。ですが、普通の生活レベル以上の額ではなかった、ということは昔の記憶をたどれば良くわかります。

 

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1号棟に住んでいた同級生は、上野動物園にパンダが来た時、見に連れて行ってもらった、と教室で話をしていました。パンダが好きだった私は、上野に連れて行ってもらえませんでした。ハッキリは言われませんでしたが、経済的に難しかったのだと子ども心に感じたものです。

 

私はそれが何だか悔しくて、それから数十年後自分で稼いだお金で東京へ行き、パンダを見てきました。最近はウチにいる猫がパンダカラーなので見に行かなくても良いかなと・・・(笑)

 

良く日本の会社は年功序列だと言われます。でも、それは一部の人だけの話なのです。父のような工場勤務は物価上昇に応じて給料は上がるけれど、それ以上にドンドン上がっていくことはありませんでした。職責が上がればその分給与額が上がるでしょう。ですが、学歴のない父が管理職になることはかなり難しかったと考えています。

 

年功序列になっていたのは一部のサラリーマンであり、小さな店舗や工場勤務の人たちにはほとんど関係はなかったのではないでしょうか。例え給与額が上がっても、暮らしが豊かになるほどのものではなかったということです。

 

また、最近の非正規社員の方は入社当時と給料が変わらないままになっていることが多いです。年齢が上がって、その分仕事に対する習熟度が上がり、成果を出せるようになった、というのであれば給与額は上がるでしょう。でも、定年退職までの40年近く成果を出し続けられる人はそうたくさんいません。普通の人は途中でどうやっても成果が上げられない時期に直面します。

 

また、日本全体の経済が右肩上がりではなくなっているために、作れば売れる、ということはありません。売れなくなる時が来る、という危機感は経営者に常にあります。

 

だけど、雇用者は簡単に解雇できません。給与という現金が毎月出ていくのに売上が上がらない、ということが起こりうるのです。

 

こんな時代に、ただ年齢が上がれば給与が上がる、ということは不可能ですよね。

 

ただ、雇用者の給与を上げたくない経営者もいない、と私は信じています。一緒に働く仲間なのだから、せめて生活に困らない程度+αくらいの給与を出してやりたいと思っている経営者は多くいます。でも、出せないのが現実なのです。

 

そのことについては、また明日お話したいと考えています。

それでは、また明日。 

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