家事と子育てと介護と仕事 その1
今月は、女性と仕事について、お話ししていきたいと考えています。今週はそのスタートとして、家事・子育て・介護の連合軍VS仕事をテーマに話します。
突然、こんなテーマにしたのは、昨年末にある本を読んだから。
それは現FacebookのCOOである女性が書いた、女性視線の仕事と家事の話です。
とても面白かったし、女性の社会進出の見えざる敵について書かれた本は他に類を見ず、また、内容は頷くしかないほど事実に即したものだったので、挫折することなく読み終えた本です。
この本を読みながら、そして、今月は私の両親の命日がある月でもあるため、これをテーマにしてお話しするのが良いのではないか、と感じたわけです。
私の母は1995年2月、父は2004年2月に病死しました。なので、2月は命日月です(苦笑)。何もこんなに寒い日に、と思うのですが、こればかりは仕方ありません。
母が亡くなってから父は9年間、独りで生活をしていました。元気でしたし、もともと家事も一通りこなすことができていたので、何も問題なく過ごしていたのです。
ですが、ふと、父が漏らした一言を私は鮮明に覚えています。
「母さん(私の母のこと)は、炊事が嫌いだったようだ・・・」
私の反応は「何を今さら・・・」というものでした。
元々、母は非常に社交的なタイプで、どんな場所でもどんどん前に出ていく方でした。ですが、基本的にずっと専業主婦でした。
パートの仕事を始めたのが、私が小学校6年生の時から。それからはずっと何かしらのパートをしていました。そして、私が高校生になる頃、自宅を改装して小さなお店を開きました。
そのお店は今でいうところのコンビニエンスストア。ちょうど東京や大阪でコンビニが出始めた頃でした。でも、「コンビニ」という言葉すら知らなかったので、単なる「タバコ屋」と呼んでいました。
扱う商品は、タバコ、お菓子、パン、ソーセージやハムなどの比較的日持ちする日配品、調味料類、ジュース・缶コーヒー、シャンプー・リンス・各種洗剤などの衛生商品、文房具、カメラのフィルム(デジカメ発売前の時代のため)と現像受付、クリーニングの受付、その他もろもろ。現在、コンビニにおいてある商品の中で、お酒(免許がなかったので)とお弁当類(日持ちしないため)以外はたいてい置いていました。
朝7時くらいから夜8時くらいまで営業していました。朝早くは学校へ行く前の子どもが文房具を慌てて買いに来ていました。また、夜でも起きていれば、自宅の玄関からお客さんが「ごめん!お願いできる?」と来ていたので、対応していました。
当時は、近くにスーパーマーケットがありませんでした。バス路線もなく、車で行かなければならないほど離れた場所にあるスーパーは夕方には閉店していたので、買い物は不便だったのです。ちょっとした買い忘れのものがあると、飛び込んでくる、という感じでした。基本的に定価販売ですから、割高なはずなのですが、そこそこにお客さんはあったようでした。
このお店の対応を、基本的に母一人で対応していました。父は会社がありましたし、私も学校があったので、昼間は母のみです。いつも「トイレに行く間がない」と愚痴っていましたが、私は特に気に留めていませんでした。
学校から帰った後やお休みの日は、私も店番することもありました。高校生の、少し反抗期的な私にはとても面倒なことだったので、積極的に協力することは全くありませんでした。
こんな状況で母は、家事とお店を切り盛りしていたのです。
父は食べ物の好き嫌いはありませんでした。ただ、好みが強く、洋食・中華より和食、洗練された食事より田舎料理を好んでいました。そして、それを暗に要求していました。それは、子ども心ながらに感じ取っていました。母が食事の用意に非常に気を使っていることも知っていました。
そして、たまにどうしても体がきつい時など、母は、父に外食したいと私に言わせるようにしていました。母が言うと怒りだす父でも、私が言えば外食するために車を出してくれます。父が外食の許可を出した時の母のホッとした表情を何度も見ています。
父は昔ながらの男性であり、食事は家でするもの、という考えを強く持っていました。外食は用事で外に出ている時だけのものだったのです。家にいるのに外食する、というのは父にとって大きな不機嫌の原因でした。
私が結婚して専業主婦となった時のことです。私の婚家は実家から200km近く離れたところです。簡単に戻ることができなかったので、私としては実家に戻った時くらい、ノンビリしたいと思っていました。
でも、私が実家に戻ると、母は炊事をしません。「私だってノンビリしたい」と、材料だけ買ってきて、私に任せてしまいます。良くテレビドラマで、嫁いだ娘が実家に戻ると、ノンビリとテレビを見てる、と描かれていますが、私の場合は全く逆でした。
そんな時、母がボソッと「料理するの、あんまり好きじゃない」と言ったことがあります。「でも、女は料理するもんだから、してるけど・・・」
私も結婚していたので、その時の母の気持ちが良くわかりました。女だから料理をする、という決まりはいつできたのだろうとその時思ったものです。
それから数年後、母は持病が悪化し他界しました。
その後、父がぼんやりと、先の言葉をつぶやいたのです。「母さんは炊事が嫌いだった・・・」
「そうだね。女性だって炊事が嫌いな人もいるよ」と答えた私。
「そんなものなのか? 女性は炊事が好きでやっているもんだとばかり思ってた・・・」と父。
「女性も人間。男性だって料理を作るのが好きな人がいるように、女性だって料理を作るのが苦手という人はいるよ」
「そういうもんかぁ。。。」
父が突然こんなことを言い始めたきっかけは知りませんが、感慨深げにそう言ったのがとても印象的でした。
父も母も戦前生まれ。基本的に「男女七歳にして席同じうせず」の世界で生きてきました。男女は七歳から別々の部屋で暮らすこと、男女それぞれ別の教育をすることが基本なのです。男女とも別々に大きくなれば、異性がどのようなことを考えているのかを知らないままです。
知らないから、男性がは自身が考える女性像をパートナーの女性に求めるのです。逆に言えば、女性は自身が考える男性像をパートナーの男性に求めるのです。
私の両親の世代は、男が外で働き、女は家で家事・子育てをする、というのが普通でした。私自身も若い頃までは、それが普通でした。
だから、父にとって、女である母が炊事が嫌いだった、ということが驚きだったのでしょう。
もっとも正確に言えば、母は家事全般が嫌いでした(笑)。
もし、社交的で頭の回転が速かった母が今の世の20代だったら、きっと成績優秀のビジネスパーソンだったのかもしれません。そんな世界に憧れていた母であることも知っていました。でも、諦めていたのです。
そんなこと、できるはずがない、と。
私はそこに女性が抱える課題を見ました。
次回は、私自身のことをお話しします。
それでは、今日はこの辺で。