人材育成の道すがら

人材育成の道すがら、考えたこと・気づいたことを書き綴ります

家事と子育てと介護と仕事 その2

前回は両親のことを話しました。今回は、私のことを含めてお話しします。

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以前もお話ししたのですが、私が最初の会社に就職した時は、まだ男女雇用機会均等法が施行される2年前でした。

 

私はそれまで男女の差というのをあまり意識せずにいました。というのは、私には異性の兄弟がおらず、子育て方の違いを目の前で見る機会がなかったからだと考えています。

 

旦那の妹たちはいつも口を揃えて「お兄ちゃんと私たちは育てられ方が全然違ってた」と言います。旦那がしても何も怒られないのに旦那の妹たちがすると怒られることがたびたびあったようです。「女の子がそんなことをするんじゃありません」と。

 

確かに、男の子だと多少乱暴な動作をしても「たくましい」と高評価なのに、女の子だと「はしたない」と低評価です。

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私はそんな光景を日常的にみることがほとんどなかったので、日本という国は男女平等なんだ、と思っていました。

 

でも、社会人になって、それが大きく違うことを思い知らされました。

 

「女子社員はこの会議には出なくて良いからね。早く帰って」

 

まさか、こんなことを言われるとは思っていませんでした。会議の中でどんなことが話し合われているのかが知りたかったのですが、当時は知るすべを知りませんでした。

 

入社して2年ほど経つ頃、私はこの会社を一日でも早く辞めたくてたまりませんでした。女性であるがゆえに、会社に何の役にも立たないのであれば、会社に勤めている意味がありません。入社当初には満タンだったやる気も底をついてきていたのです。

 

ちょうど結婚の話が来ていたので、これはチャンスと結婚退職をすることにしました。それは「専業主婦」となることを意味しています。

 

子どもの頃、母を見て育った私は、「専業主婦」にあんまり良いイメージを持っていませんでした。母は働いていた頃の方がイキイキしていましたし、そんな母が好きでした。もっとも母の性格では専業主婦だった時も、(PTAや地区の会合、今で言うところのボランティアのようなことで)あちこち出回っていたのですが・・・(苦笑)

 

まあ、専業主婦になるのが普通だ、と思い込んでいたので、あまり大きな疑問を持つことはありませんでした。

 

そんな私に、とても印象的な言葉があります。それは結婚式の日に旦那がボソリといった言葉です。

 

結婚式の途中のお色直しの時、美容師さんが私に「結婚した後も働くの?」と聞きました。

 

その時の美容師さんはとてもやり手の女性と言われている方でした。当時にしては、女性でありながら複数の美容室を経営しており、顧客も多く抱えていたのです。

 

そんな女性からの突然の質問に私はどう答えて良いかわからないままでいると代わりに旦那が答えたのです。

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「ああ、その人は、ずっと家にいるタイプじゃないから。いずれはバリバリ働きますよ」と。

 

ひえぇ~~~

 

私は心の中で叫びました。こんな風に旦那は私を見ていたんだ、と。

 

結婚前の会社でバリバリ働いていたとは全然思っていなかったし、専業主婦で良いや、と思っていたところだったのに、旦那からこんな風に思われていたとは全く考えていませんでした。

 

もっとも、この言葉、今の旦那が覚えているかどうかはわかりません。でも、今、大きく変わっているとも思えません。きっと、心の中で「思った通りだ」と思っているかもしれません(笑)。

 

ところで、私の専業主婦時代はそれから11年ほどでピリオドを打ちました。子ども達が全員小学校に入った年からパートタイムで仕事を始めたのです。

 

パートタイムは2年半。その後、前の会社の社員となりました。トータルすると、専業主婦時代より働いている時代の方が長くなってしまいました(笑)。

 

前の会社では、2年間の契約社員を経て正社員となりました。その時から役職名がつくようになりました。正式な管理職となったのが、入社して2年半の時からです(つまり、主任レベルは半年しか経験しておりません(汗))。

 

それから急激に忙しくなり、気がつくと過労死寸前まで……。旦那の言葉は、ピッタリだったわけです。本当にバリバリと働きました。今から振り返っても良く頑張ったな、と思います。

 

そこで問題になってくるのが、家事と子育てです。

 

過労死寸前まで行ったとても忙しかった頃、家事も子育ても全部担当していました。旦那はいわゆる会社人間だったので、朝早く出社して夜遅くしか帰ってきません。専業主婦時代からの名残で、家事と子育てはすべて私の担当だったのです。

 

学校のPTAの役員は、自宅で作業ができるようにベルマーク委員にしてもらいました。クラスで集めたベルマークを集計する作業を自宅でするのです。それをするにも時間がなかったので、毎月2日間はこの作業のために徹夜でした。

 

地域の持ち回りの役員の作業も書類を集めたり配ったりがあります。これも夜中に配って回っていました。書類を持ってきてもらうには自宅にいなければならないため、私の都合の良い時間に取りに行くという手段を取りました。

 

そして、毎日の食事の用意と洗濯。掃除をする時間は到底ありません。この時は母の言葉を思い出していました。「人間、食べるモノがなかったら死ぬ。着るものがなかったら生活できない。でも、家が汚くても死なないからね」(笑)

 

家事労働の中で「掃除」はとにかく後回しにするしかなかったのです。

 

その時、上の子ども達はお弁当が必要だったので、朝5時から朝食、お弁当、夕食を作っていました。夕食はレンジで温めて食べられるように準備しておくのです。その合間に洗濯をして干すまですると会社に行く時間になります。

 

毎日が戦争でした。何も考えることができず、ひたすら目の前のモノを片づけることしかできなかったのです。

 

そんな中、過労で倒れます。

 

でも、倒れても休むヒマはありません。少しだけお休みをもらいましたが、すぐに復帰しました。そして、私の転換期が訪れます。

 

会社の仕事を何とかこなしながら家事を続けていました。そんな時のあるお休みの日の夕方、旦那の一言でブチ切れることになります。「今晩の晩飯、何?」

 

体がクタクタで、何をする気力もなかった時に、です。頭の中で、「ブチッ」と切れる音が聞こえた気がします。

 

もう、何を言ったのか、覚えていません。わーと叫んだ後、「これから一切の家事はしない」と宣言しました。

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こんなに可愛くはなかったと思いますが…(笑)

 

今では笑い話しかならないのですが、ホントにそれから2週間、一切、家事をしませんでした。会社の仕事だけです。会社の仕事だけだと、どれだけ楽であるか、ということをその時初めて知りました。

 

そして、2週間が経つ頃、旦那が悲鳴を上げました。「掃除と洗濯は何とかするから、炊事だけはしてくれ~~~」と。

 

それからはずっと掃除と洗濯は旦那が担当しています。これを書いている最中も旦那はせっせと洗濯物を干していました(笑)。

 

父が言った言葉。「母さんは炊事をするのが苦手だったみたい」の言葉が今でも頭をよぎります。旦那は家事労働の中で「炊事」だけはどうにも苦手なようです。これだけはやりたくない、ということだったので、私は引き受けることにしました。

 

実は私も母に似てあまり炊事は好きではありません。でも、たぶん旦那よりは苦手度が低いと考えています。だから、引き受けたのです。

 

ブチッと切れた時から、徐々に私は変わってきました。私はそれから「家事労働で無理をしない」ことにしたのです。

 

炊事の中で一番大変で、なおかつ、機械に任せることができるのが食器洗いです。反対する旦那を尻目に、食器洗浄機を自分のお金で買いました。今ではなくてはならない私の相棒です。

 

炊事もたまに手を抜くようになりました。外食の頻度が多くなりました。お弁当を買ってくる日も増えました。母が父に気を使って、なかなか外食を言い出せずにいたことを思い出しながら、私は堂々と旦那に「今日、外食しよう」と言っています。

 

だって、疲れを癒すための時間確保のためには外食もやむを得ない、という理論を元にしてますから(笑)。

 

そして、今、介護問題が降りかかってきています。

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個人事業主として始めたばかりの今の私であれば、まだ辞めて専業主婦になることは可能です。そして、介護に専任することだって可能です。

 

でも、ここでも「無理をしない」ことにしました。

 

まだ、そこまで介護が必要とされていない状態の今、自らの夢を諦めて介護専任になることは「無理」をしていることになるのです。そうすると、またいつか「ブチッ」が来ます。

 

だったら、外部のサービスを利用する、ということが必要だと考えたのです。そうすれば無理をせずにすみます。

 

そんなのは冷たい、非情だ、嫁ならば舅・姑の面倒を見るのが当たり前と思う方もいらっしゃると思います。でも、不慣れな私が前面に出ても、お互いに嫌な想いをすることになります。それよりも専門家のアドバイスを受けながら、様々な方々とコミュニケーションを取っていきながら、専門家を交えたチームで介護をした方が良いと考えたのです。

 

今回の件でわかったのは、お年寄りは認知や体の問題も重要ですが、心の問題も重要だということ。体の問題はサービスを受けることで対応が可能ですが、心の問題は家族しか対応できないのです。「寂しい」「不安」といった気持ちに寄り添うためには家族が声をかけ、話を聞くことが必要だと思いました。

 

この舅・姑の心理的な動きを敏感に感じ取れるのは、旦那の妹たち(つまり娘たち)です。彼女たちは思ったことを私に言えなくても旦那には話します。それを元に旦那と私とで介護の方針を決めていくことにしています。

 

離れて暮らしているのですが、今までよりちょっとだけ、できる限り声をかけたり話を聞いたりする時間を多く取るようにすることが大切だな、と思っています。そうなると、土日はほとんどその時間にあてているので、このブログを書く時間の確保に今大変さを感じています。

 

ただ、それは自分で納得した上でしていることなので、無理をしているという感じはありません。

 

家事と子育てと介護と仕事と題して2回にわたり、私の両親と私のことについて話をしてきました。無理をしないことは、自分で自分を大事にすることだと考えています。ひとりの人間として自分を大事にする、家族のために自分のことを後回しにしない、実は、前回ご紹介した本の中の一節です。

 

来週は、かなり女性進出が進んでいる現代社会ですが、意外と女性は生き難い、と私が感じていることについてお話ししたいと考えています。

それでは、今日はこの辺で。 

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