人材育成の道すがら

人材育成の道すがら、考えたこと・気づいたことを書き綴ります

女子は文系だという雰囲気

先日、非常勤講師をしていた学校の卒業式があり、謝恩会に招待されたので出席してきました。

 

工業系なため非常に女子学生の数が少ないのです。それはとても残念な気がします。でも、私自身も学生だった頃、自分は「文系」人間だと思っていたので、あまり人のことは言えませんね(苦笑)

 

どうして女子は「理系」科目が苦手なんでしょうか?

 

おそらく得意だ、という人もたくさんいると思います。

 

私自身、数学や物理という科目はとても好きでした。でも、できる方ではありませんでした。理屈として、できないから「文系」と決めていたような気がします。

 

でも、今、お話させていただく方からは「理系ですねー」と良く言われます。

 

前の会社に勤めていた時、エンジニア志望の方から「(自分は)文系の学部卒業なのですが、ITエンジニアになれますか?」という質問を大変たくさん受けました。

 

IT系の企業の場合、例えば半導体の設計を行うような会社やハードウェアに組み込むためのプログラムを書く会社の場合は、理系(というより工業系)の学部を卒業した方の方が良いと思っています。 前提として金属の素材や化学・物理の知識が必要だからです。

 

でも、会社の基幹システムを作るソフトウェア会社の場合は、理系・文系は全く関係ないと考えています。

 

むしろ、文系の方が良い場合もあると思っています。

 

理由は単純です。作られたシステムを直接使うのは、ほとんどが文系の方々だからです。基幹システムを作ってもらった会社の社員は営業マンだったり経理マンだったりします。彼らは経済学部や文学部などの出身者が多いわけです。そういった方々が使うものを作るには文系の方の方が適している場合があります。

 

何が「文系」「理系」を分けるのでしょうか?

 

それよりも「文系」「理系」とはどう定義されるのでしょうか?

 

世の中は、出身の学校でどんな学問を学んできたのかで分けているような気がします。文学部だったから「文系」、工学部だったから「理系」と。あるいは、数学が得意だったから「理系」、英語が得意だったら「文系」とか。

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でも、私にはどちらかというと、結果に着目するか、プロセスに着目するかの違いのような気がしています。

 

 

実は良くソフトウェアを操作している時に、差が生じてきているのを見かけます。同じソフトウェアを操作して結果が思ったようにならない時の反応が、二分されていたような気がするのです。

 

  1. 〇〇が××にならなければならないのに、◇◇になったと反応する人
  2. 〇〇が◇◇にならなかったよ。やり方が違っていたのかな、と反応する人

 

1.のパターンで反応する人は良く理系と呼ばれている人たちです。結果が想定と異なることを指摘し、想定と結果を比較しながら結論を出していくタイプです。まるで実験をやっているような感触です。

 

2.のパターンで反応する人は良く文系と呼ばれている人です。結果よりプロセスに着目した反応を示すことが多いです。

 

もっともこの反応の分類は、私の体感的なものです。パソコン教室をたくさんしてきた時に想定と異なる結果が出た時の反応を思い起こしてみました。すると、たいてい上記二つに分かれるのです。

 

指導方法も二種類です。

 

1.の方には、間違った原因を指摘します。投入するデータの違いや処理方法の違いで結果が異なったのだと理解すると、進み方が早くなります。

 

2.の方には、もう一度プロセスをなぞってもらいます。そうしていきながら結果が異なることになった原因を探っていきます。そうすると理解が早いようです。

 

 

女性が文系が多いのは、単純に理系の科目を喰わず嫌いしているだけではないかという気がしています。今までの受講者の中で両方のパターンとも男女比はほぼ同率です。そんなに文系タイプに女性が多いとは感じていません。

 

良く言われるのが、女性(というより母性)は、理屈抜きの存在である幼子を育てる役目上、結果よりもプロセス重視だということ。私もつい最近までそう思っていました。

 

だって、プロセス重視でなければ、「食事をする」という結果だけを見れば、手づかみだってOKなわけです(笑)。ただ、それは父性も手づかみNGですよね。あんまり関係ないと今では考えています。

 

それよりも「女の子は理系より文系」という「社会的な雰囲気」で「文系」を選択している女性が少なからずも存在するのでは、という気がしています。私が高校時代も「女子だからやっぱり文系だよねー」という言葉を何度聞いたことか。私自身も発していた記憶があります。

 

この社会的な雰囲気というのが、結構曲者だと私は考えているのです。

 

実は、予定では、女性と管理職についてお話しようと考えていたのですが、行きつくところ社会的な雰囲気の話をしてからの方が早いかな、と思って、この話を先にしました。

 

私が、女性は25歳までに結婚した方が良い、と思っていたのも、会う人会う人に言われたわけではありません。そういうものだよね~~~という暗黙の何かがそこに存在していたのを感じ取ったからです。

 

女性が家事をした方が良い、というのも、暗黙の何かがそう思わせていました。

 

生まれてから疑問に思ったことがありませんでした。そういう雰囲気に包まれていたら疑問に思わないものです。

 

でも、体調を崩して、どうしようもなくなった時、そして、社会情勢が男性も家事をしようとなっていた時期でもあったため、旦那に家事を任せるという行動に出ました。

 

そうでなければ、気づかないまま、過労死していたかもしれません。

 

今、女性がセクハラ問題に声を上げ始めています。これも、少し前まで、「声に出してはNG」と思われていた社会的な雰囲気に包まれていたから声を上げられなかったのです。今、それは間違っていると気づいたから声を上げ始めたと考えています。

 

日本は女性管理職が少ない、と言われ続けています。政府も増やす政策を出していますが、なかなか増えない。これも会社内に逆の方向を持った社会的雰囲気があるからだと私は考えているのです。

 

それでは、今日はこの辺で。

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ハチとコンピュータ(笑)

2月16日に更新して以来、更新をサボっていました。気がつくと1ケ月経っていたのですね。。。あうあう。

 

何か一言、この場で書いた方が良いとは思っていたのですが、それをする気力も出ないまま、今日に至ってしまいました。

 

言い訳させてもらいますと、最大の原因は花粉症です。昨年、突然発症したのですが、今年は急激に悪化。お会いする人の3割ほどが「私も花粉症です」と言われるのですが、マスクをしていない状態で本当に心配になりました。だって私がマスクをしていた理由は、鼻水が自然と流れ出るからです。ダムが決壊したごとくに・・・

 

というわけで、薬を飲んでもなかなか、の状態が続き、その上、昨年末から徐々に痛み始めた様々な箇所の関節の痛みの悪化もあって、パソコンの前に座ることが嫌になってました。

 

今はようやく落ち着きを取り戻しつつあります。

 

下書きはいくつか、すでに書き上げたものもあるのですが、本日は趣向を変えて、少し異なるお話をします。

 

我が家には一匹のネコがいます。名前を「ハチ」と言います。ネコなのに「ハチ」です。忠犬ハチ公ではなく、忠猫ハチ公です(^^;)

 

そんなウチのネコですが、本当にビビりな性格です。

 

普通ビビりなネコは神経質なので、人に懐かないと言われています。ウチのネコも人懐っこくはありません。ただ、自分の家族と思っている人間に対しては非常に慣れ慣れしい態度を取ります。

 

旦那と私がコタツでテレビを見ていると、コタツに下半身を入れたウチのネコが前足を枕にしてテレビを見ています。一瞬、「あれ? 誰かいたっけ?」と思えるような人型の恰好になってます(笑)

 

先日、書類を数えていました。最初は声を出さずに数えていたのですが、「・・・六、七、八・・・」と途中から声を出していたのです(自分では気づきませんでした)。

 

すると、「にゃ?」と振り向くウチのネコ。

 

最初は私も「何?」と思ってネコを見たのですが、どうやらウチのネコは自分が呼ばれたと思って返事をしたようでした。それを理解してから、ずいぶん和まされました(笑)

 

ところで、先日NHKの番組で養老孟司先生が、ネコは絶対音感だ、とおっしゃっていました。どういうことか、というと、私が「ハチ」と呼ぶ声と、ウチの旦那が「ハチ」と呼ぶ声は違ったものとして聞こえているということです。音階が違うためです。

 

単純にそうなんだ、と思っていましたが、これは実は、今流行りのAIに説明に使えるなあ、なんて考えてました。

 

コンピュータは女性の声の「ハチ」と男性の声の「ハチ」は違うものとして認識します。ここのところはネコと全く同じなわけです。同じものとして認識するには、文章化して同じである、と認識させる必要があるわけです。今のコンピュータは文章化するくらいは簡単にできますので、ネコよりは頭が良いのかもしれません(笑)

 

ですが、今度は、数字の「ハチ(8)」や昆虫の「ハチ(蜂)」、植物を植える「ハチ(鉢)」との違いを認識させることが難しくなります。そこで文脈(コンテクスト)が必要なわけです。その場に一緒にいた人間であれば、ネコを呼んだ名前かそれ以外なのかはわかりますが、コンピュータはその場にいてもわかりません。

 

どういう文脈で「ハチ」という言葉が使われたのか、を情報としてインプットしてやることが必要です。

 

ところが、今までの考え方であれば、さまざまな情報をコンピュータにインプットしてやらなければならないのです。ネコを呼ぶ際の前後の言葉群や時間帯、声の調子、声の強弱など様々な情報をデータとして登録する必要があります。その他にネコの鳴き声や場所のデータなども必要かもしれません。

 

そうしなければコンピュータは判断する基準がなく、ネコの名前なのか数字なのかが判別できません。

 

AIもコンピュータなので、ネコと同じ性質を持っています。ところが、今までのコンピュータと違うところは、学習機能がある、ということです。

 

我が家にはネコは一匹しかいませんが、家の外を歩くネコがいます。いわゆる放し飼いのネコです。それらはウチのネコとは毛の色も歩き方も違いますが、ネコはネコです。人間はある程度の年齢になるとそう判断できるようになります。でも、コンピュータにはそれが難しいわけです。

 

ネコが絶対音感で私の声と旦那の声とでは違うと認識するように。

 

ところが、そうだといつまで経っても人間の代役としてコンピュータが使えません。そこで、最近話題のAIは、「体長40~50cm程度の4つ足で、しなやかな歩き方をし、ニャーとなく生物をネコという」といった情報を入力され、どんなネコでも「ネコ」と判断できるようになりました。

 

ただ、今まではそうするために人間があらゆるデータを入力する必要がありました。それだと時間がとてもかかります。「モレ」も出てきます。

 

そこでコンピュータが自動的に学習するようにプログラムされたのがAIの機械学習です。学習方法は、どんなネコでもネコと判断できるように特徴的なデータを取り込みます。様々なネコの写真や動画を見せてネコと教えるわけです。人間の子どもの学習と同じですね。

 

たくさんのデータを取り込むことで判断ミスが減っていき、認識の確度が上がっていきます。そうしていくうちに、徐々にAIはネコを判断(というか推測)できるようになっていくのです。

 

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上のようなグラフは見たことがあると思います。これは2次元のグラフですよね。これにZ軸があれば3次元になります。軸をどんどん増やしていくと多次元になります。

 

その軸一つ一つに基準があり、「ハチ」という前に「ウチのネコ」という軸があれば、この「ウチのネコ」の軸に寄った場所に「ハチ」という言葉が位置することになります。しかも、繰り返し同様の現象があれば、何度もほぼ同じ場所にプロット(その位置に印を付けること)していきます。

 

このような軸をたくさん用意して、「ハチ」という音声一つ一つをプロットをしていくわけです。そうすると、ネコを呼ぶ際の「ハチ」という言葉は同じような場所にたくさんプロットされていき、それが一つのカタマリになっていくというわけなのです。

 

もちろん、2次元ではありませんので、空間上にカタマリがあるイメージです。ただ、複数の軸がある多次元の世界であるため、空間的というより更に複雑な世界になりますが。

 

他の「8」「蜂」「鉢」では、違う場所にカタマリになるので、この「ハチ」はネコの名前を呼んだ、と推測できるわけです。

 

多次元というのはこの判断基準の軸をいっぱいにしていく作業ということですね。

 

あ~、難しい、と思われるかもしれませんが、AIの学習は、人間と同じような学習をしているんだなぁ、と思っていただければよいでしょう。人間の子どももたくさんのネコを見て、親が「ネコ」と教えるから、どんな毛色のネコも「ネコ」といえるようになります。

 

ネコの話からAIまで発展してしまいました。来週からはもう少しマジメに更新していきますので、読んでいただけると嬉しいです。

 

それでは、今日はこの辺で。 
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専業主婦と農家の嫁

専業主婦となった後、一時期旦那の実家で舅・姑と同居したことがあります。たった3年間だけですが、いろいろなことを学ぶことができました。今日は、その中から女性と仕事という今月のテーマに沿ったところをお話しします。

 

旦那の実家は、自分たちが食べる分だけの小さな田畑があります。なので、通常の仕事以外の時間は田畑での仕事があるという状況でした。農家というほど田畑があるわけではないのですが、それなりに農作業はありました。

 

当時、舅も姑も仕事をしていました。会社で働いているわけではなく、それぞれの仕事を抱えた個人事業主という形です。60歳は超えていましたが、まだまだ元気で現役だったので、毎日がとても忙しかったのです。

 

私はその中で、当然家事と子育てがありましたが、それだけでなく舅・姑の仕事の手伝いをしていました。外に出ていることが多い二人に代わっての電話番、業者とのやり取り、店番など、そんなに忙しいわけではありませんでしたが、毎日ポツポツとやることがありました。

 

その合間の農作業です。一日がアッという間に過ぎていきました。

 

そんな時、舅からこういったことを言われます。

 

「茶摘みをしないといけないから、畑に来てくれ」

 

と。

 

基本的に農作業を主にしているのは舅・姑で、私は忙しい時の手伝いでした。その日は姑が朝から出かけていたので、私は家事も含めて一切に朝から奮闘していた日でした。

 

そう言われた私は頭に疑問符が浮かんだまま、畑に行きました。茶摘みをしてから茶葉を干している頃、旦那が帰ってきたので、尋ねたのです。

 

「なぜ茶摘みに私が駆り出されたのか?」と。

 

そこで聞いた話は私にとってとても印象的でした。

 

「茶摘みは女の仕事だから」

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良く聞いてみると、農作業には昔から決められた男の仕事、女の仕事があるそうです。

 

男の仕事は畑を耕したり草刈りをしたりといった力がいる仕事。女の仕事は種まきをしたり収穫をしたりといった力がそれほどいらない仕事。

 

これを聞いた時、何て合理的なんだろう、と思いました。

 

男女の違いは子を産むだけではなく、筋肉のつき方なども違います。筋肉の量の違いから、やはり力の大きさについては男女差があるのです。オリンピックだって、男女で成績が違う競技がたくさんあります。

 

農作業は太古の昔からある作業です。その作業は男女の体格の差のみから分業となっていることに、私は驚いたのです。

 

もちろん専業で農業をされているところは男性でも収穫作業を行う方も多いと思います。専業なので人手が足りず、男女で分ける余裕がないからだと考えています。

 

でも、基本的に昔からそう分けられていると聞いて、それまで男女間の差別ばかり見せつけられていた私に、差別ではなく区別となっていることに感動しました。

 

確かに農作業そのものは大変な重労働です。最初に入社した会社から比べると、汚れるし、きついし、大変な仕事です。でも、ひとりひとりが自分の仕事として責任を持って従事することができる、という点では、前の会社よりずいぶん先進的な気がするのです。

 

農作業は人手がいくらあっても足りないことが多いため、男女の体力の差で合理的な分業がなされているのだと思います。しかも、男性だから仕事ができる、ということではなく、農業で一番重要な種まきと収穫を女性が担うということです。

 

確かに畑を耕さなければ作物は育ちませんが、耕された畑に作物を植え、育て、収穫をするのが女性の役目なのです。重要な仕事ですし、責任を持たなければできない仕事です。すなわち、男性から女性はそれができると認められているのです。

 

お手伝い的な仕事をすれば良いから会議にも出なくてよい、と言った会社とは異なり、女性であろうと男性であろうと、仕事をその体格に応じて分け与えている農業の仕組みはすごいと思ったのです。

 

私が同居していた頃はまだ昔ながらの風習が残っていた時代でした。農村としての風習も男性・女性を区別はしていましたが、女性も農村にとってなくてはならない存在でした。

 

例えば、その地域のお祭り。

 

お祭りの主役である神様に直接対応するのは男性の役割であるけれど(すなわち、神社へのお参りや儀式そのものをすることです)、その裏で女性は女性同士で固まって宴をします。

 

そこにはいわゆる女子トーク花盛りです(笑)。女子トークの方が楽しくて、お祭りに参加しているような方もいるようです。私も何度かお祭りに参加しましたが、女子トークで賑やかで楽しかった思い出しか残っていません(苦笑)。

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私は、農村のフェアネスなシステムはとても重要だと考えています。

 

私がいた場所とは異なる場所ではフェアではないところもあるかもしれませんが、今の会社という組織における男女の環境の差異を考えると、非常に着目するところがあるのではないかと考えています。

 

次回は、会社で働き始めた私が感じたことについてお話ししたいと思います。

今日は、この辺で。

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働く女性のちょっと先は

先週は私の両親と私の今までについてお話ししました。今週と来週にかけて、私自身と私が見てきた働く女性について、お話ししたいと思います。

 

私は、今まで3つの職場で働いてきました。新卒から就職した最初の会社、専業主婦を経験した後にパートで働いた職場、そして、2年ちょっと前まで働いていた会社です。それから忘れてならないのが専業主婦時代。こちらも気がついたところをお話しします。

 

最初の会社と2番目のパートで働いていた職場は、そのほとんどが年上でした。年上の女性がたくさん働いていました。

 

最初の会社は、私と同年代のメンバーと10歳近く歳の離れた女性社員群にはっきり分かれていました。私と同年代の女性たちは、20代前半。今回、話題にするのが、もう一つの年齢層の女性社員たちです。

 

  • 28歳独身
  • 32歳独身
  • 36歳独身

この3名は、当時「結婚できなかった女」とささやかれていました。社内の男性社員たちからは「困った社員」という表現をされていました。今だったら、セクハラ行為ですが、当時はそんなことを思う人もいません。

 

また、この年齢、現代社会では独身であっても当たり前な感覚です。ただ、当時はクリスマスケーキと言われていた時代です。女は24歳(24日)まではクリスマスケーキとして価値がある。25歳(25日)はギリギリ。26歳(26日)になったら余り物のクリスマスケーキだ、という考え方です。下手をすれば廃棄処分です…(涙)

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なので、一番若い28歳であっても、余り物という評価だったのです。

 

私が4月に入社したその年の夏、ですから、まだ入社3~4カ月くらいの頃です。彼女たち3名と私とで一つのチームとなり、「改善」に向けての社内取り組みをすることになります。

 

はっきり言って、ベテラン3名と新卒入社1名という組み合わせになったのも、何かの罠じゃないかといまだに思っていますが(苦笑)。

 

結果として、私一人にすべてが押し付けられました。テーマを見つけるのも、対策を考えるのも、社内発表のための資料を作るのも。右も左もわからない時期に、ベテラン3人組に良いように使われて。

 

彼女たちに「モチベーション」なんて言葉は全くありませんでした。

 

働かなくては食べていけないから。ただ、それだけ。

 

より効率的に働く、とか、課題を見つけて解決する、とかいったことは、何に役立つのか。そんなことをやっても「何も変わらない」。だから、「改善」なんてやっても「ムダ」。

 

というのが彼女たちの言い分でした。

 

当時の私は、そんなことを言う彼女たちに何を言うこともできませんでした。効率的に働く以前に今の仕事を覚えるのが必死だったのですから。

 

私のモチベーションが落ち始めたのも、この一件からでした。

 

そんなわからないづくしのまま、あれよあれよという間に、全社大会で発表することになっていました。私は生まれて初めて700人を超える人たちの前で発表しましたが、もう苦しかった、という記憶しかありませんでした。

 

発表の時、ベテラン女性社員たちは私の後ろにいてくれるのですが、私がセリフを飛ばしてもフォローを入れてくれることはありませんでした。だって、彼女たちは発表の内容すら知らないのですから。

 

そんな思いをした私は、彼女たちを目標にしたいとは全く思えませんでした。

 

ただ、今、彼女たちよりずいぶん年上になった私が思うには、彼女たちもわからなかったのだと思います。

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彼女たちが置かれた環境を思い起こせば、上司である男性社員からは厄介者のように扱われ、それでいて与えられている仕事ができることが当然であり、でも仕事をする人間として認められることはありません。同期の男性社員は、どんどん出世していきます。最年長の女性社員の同期の方は既に管理職になっています。でも、彼女は昔のままです。

 

仕事そのものは先輩たちから受け継いできています。でも、仕事のやり方は誰にも教わりません。電話を取った際の最初の話し方は学ぶものの、新規の顧客に分かりやすく説明する方法というのは学びません。効率的に仕事をして残業を減らす方法も知りません。学ぶ機会すらなかったのです。

 

「改善」を行う、といきなり上司から言われて、「改善」を行うための分析ツールは学ぶものの「改善」を行う課題の見つけ方は学びません。

 

そんな彼女たちも、きっと上司から告げられて、途方に暮れていたのではないかと思うのです。わからないから、これ以上自分たちの心証を悪くしないためにも新人に任せてしまおう…と考えるのも不思議ではないと思います。

 

だって、彼女たち(おそらく当時の私も含む)は会社から見て、会社の一部の仕事をミスなく着実にこなし、それなりに顧客との関係性を持つことで営業成績のほんの一部をカバーしてくれればOKなのです。

 

会社に「本当に役立つ人材」は男性社員であり、彼らを育てることは会社は力を注ぐけれども、女性社員を育てることは時間とコストのムダだ、ということなのです。

 

さすがに現代社会で、上記のような会社(表面上は、に限定しますが)はないですが、まだまだ多くの会社が隠れた部分で上記のような考え方を持っている会社は少なくないと私は考えています。

 

そして、彼女たちの行く末を考えてみます。

 

もし、その会社に不満を持って退職したとしても、次の仕事は全く保証されません。事務職は女性の一番人気職であり、事務職につける女性は限られています。結局、スーパーのレジ打ちなどのパートの仕事しかなく、そうなれば必然的に給与額は下がります。

 

でも、この状況、どこかで聞いたことがありませんか?

 

今、この時代でも同様のことが起きています。30歳台後半の女性が再就職するとなると、よほどのスキルやコネがない限り、パートで働くことが最初となるのではないでしょうか。

 

この2~3年ほどの人手不足で、女性でも能力があれば正社員、という話を多く聞くようになりました。でも、一般の女性たちは、私が最初に会社に入った頃と全く変わっていない気がします。

 

あれから30年が経っているにも関わらず、です。考えてみればショックです。

 

次回は、専業主婦となった頃の話をしたいと思います。

今日は、この辺で。

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家事と子育てと介護と仕事 その2

前回は両親のことを話しました。今回は、私のことを含めてお話しします。

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以前もお話ししたのですが、私が最初の会社に就職した時は、まだ男女雇用機会均等法が施行される2年前でした。

 

私はそれまで男女の差というのをあまり意識せずにいました。というのは、私には異性の兄弟がおらず、子育て方の違いを目の前で見る機会がなかったからだと考えています。

 

旦那の妹たちはいつも口を揃えて「お兄ちゃんと私たちは育てられ方が全然違ってた」と言います。旦那がしても何も怒られないのに旦那の妹たちがすると怒られることがたびたびあったようです。「女の子がそんなことをするんじゃありません」と。

 

確かに、男の子だと多少乱暴な動作をしても「たくましい」と高評価なのに、女の子だと「はしたない」と低評価です。

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私はそんな光景を日常的にみることがほとんどなかったので、日本という国は男女平等なんだ、と思っていました。

 

でも、社会人になって、それが大きく違うことを思い知らされました。

 

「女子社員はこの会議には出なくて良いからね。早く帰って」

 

まさか、こんなことを言われるとは思っていませんでした。会議の中でどんなことが話し合われているのかが知りたかったのですが、当時は知るすべを知りませんでした。

 

入社して2年ほど経つ頃、私はこの会社を一日でも早く辞めたくてたまりませんでした。女性であるがゆえに、会社に何の役にも立たないのであれば、会社に勤めている意味がありません。入社当初には満タンだったやる気も底をついてきていたのです。

 

ちょうど結婚の話が来ていたので、これはチャンスと結婚退職をすることにしました。それは「専業主婦」となることを意味しています。

 

子どもの頃、母を見て育った私は、「専業主婦」にあんまり良いイメージを持っていませんでした。母は働いていた頃の方がイキイキしていましたし、そんな母が好きでした。もっとも母の性格では専業主婦だった時も、(PTAや地区の会合、今で言うところのボランティアのようなことで)あちこち出回っていたのですが・・・(苦笑)

 

まあ、専業主婦になるのが普通だ、と思い込んでいたので、あまり大きな疑問を持つことはありませんでした。

 

そんな私に、とても印象的な言葉があります。それは結婚式の日に旦那がボソリといった言葉です。

 

結婚式の途中のお色直しの時、美容師さんが私に「結婚した後も働くの?」と聞きました。

 

その時の美容師さんはとてもやり手の女性と言われている方でした。当時にしては、女性でありながら複数の美容室を経営しており、顧客も多く抱えていたのです。

 

そんな女性からの突然の質問に私はどう答えて良いかわからないままでいると代わりに旦那が答えたのです。

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「ああ、その人は、ずっと家にいるタイプじゃないから。いずれはバリバリ働きますよ」と。

 

ひえぇ~~~

 

私は心の中で叫びました。こんな風に旦那は私を見ていたんだ、と。

 

結婚前の会社でバリバリ働いていたとは全然思っていなかったし、専業主婦で良いや、と思っていたところだったのに、旦那からこんな風に思われていたとは全く考えていませんでした。

 

もっとも、この言葉、今の旦那が覚えているかどうかはわかりません。でも、今、大きく変わっているとも思えません。きっと、心の中で「思った通りだ」と思っているかもしれません(笑)。

 

ところで、私の専業主婦時代はそれから11年ほどでピリオドを打ちました。子ども達が全員小学校に入った年からパートタイムで仕事を始めたのです。

 

パートタイムは2年半。その後、前の会社の社員となりました。トータルすると、専業主婦時代より働いている時代の方が長くなってしまいました(笑)。

 

前の会社では、2年間の契約社員を経て正社員となりました。その時から役職名がつくようになりました。正式な管理職となったのが、入社して2年半の時からです(つまり、主任レベルは半年しか経験しておりません(汗))。

 

それから急激に忙しくなり、気がつくと過労死寸前まで……。旦那の言葉は、ピッタリだったわけです。本当にバリバリと働きました。今から振り返っても良く頑張ったな、と思います。

 

そこで問題になってくるのが、家事と子育てです。

 

過労死寸前まで行ったとても忙しかった頃、家事も子育ても全部担当していました。旦那はいわゆる会社人間だったので、朝早く出社して夜遅くしか帰ってきません。専業主婦時代からの名残で、家事と子育てはすべて私の担当だったのです。

 

学校のPTAの役員は、自宅で作業ができるようにベルマーク委員にしてもらいました。クラスで集めたベルマークを集計する作業を自宅でするのです。それをするにも時間がなかったので、毎月2日間はこの作業のために徹夜でした。

 

地域の持ち回りの役員の作業も書類を集めたり配ったりがあります。これも夜中に配って回っていました。書類を持ってきてもらうには自宅にいなければならないため、私の都合の良い時間に取りに行くという手段を取りました。

 

そして、毎日の食事の用意と洗濯。掃除をする時間は到底ありません。この時は母の言葉を思い出していました。「人間、食べるモノがなかったら死ぬ。着るものがなかったら生活できない。でも、家が汚くても死なないからね」(笑)

 

家事労働の中で「掃除」はとにかく後回しにするしかなかったのです。

 

その時、上の子ども達はお弁当が必要だったので、朝5時から朝食、お弁当、夕食を作っていました。夕食はレンジで温めて食べられるように準備しておくのです。その合間に洗濯をして干すまですると会社に行く時間になります。

 

毎日が戦争でした。何も考えることができず、ひたすら目の前のモノを片づけることしかできなかったのです。

 

そんな中、過労で倒れます。

 

でも、倒れても休むヒマはありません。少しだけお休みをもらいましたが、すぐに復帰しました。そして、私の転換期が訪れます。

 

会社の仕事を何とかこなしながら家事を続けていました。そんな時のあるお休みの日の夕方、旦那の一言でブチ切れることになります。「今晩の晩飯、何?」

 

体がクタクタで、何をする気力もなかった時に、です。頭の中で、「ブチッ」と切れる音が聞こえた気がします。

 

もう、何を言ったのか、覚えていません。わーと叫んだ後、「これから一切の家事はしない」と宣言しました。

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こんなに可愛くはなかったと思いますが…(笑)

 

今では笑い話しかならないのですが、ホントにそれから2週間、一切、家事をしませんでした。会社の仕事だけです。会社の仕事だけだと、どれだけ楽であるか、ということをその時初めて知りました。

 

そして、2週間が経つ頃、旦那が悲鳴を上げました。「掃除と洗濯は何とかするから、炊事だけはしてくれ~~~」と。

 

それからはずっと掃除と洗濯は旦那が担当しています。これを書いている最中も旦那はせっせと洗濯物を干していました(笑)。

 

父が言った言葉。「母さんは炊事をするのが苦手だったみたい」の言葉が今でも頭をよぎります。旦那は家事労働の中で「炊事」だけはどうにも苦手なようです。これだけはやりたくない、ということだったので、私は引き受けることにしました。

 

実は私も母に似てあまり炊事は好きではありません。でも、たぶん旦那よりは苦手度が低いと考えています。だから、引き受けたのです。

 

ブチッと切れた時から、徐々に私は変わってきました。私はそれから「家事労働で無理をしない」ことにしたのです。

 

炊事の中で一番大変で、なおかつ、機械に任せることができるのが食器洗いです。反対する旦那を尻目に、食器洗浄機を自分のお金で買いました。今ではなくてはならない私の相棒です。

 

炊事もたまに手を抜くようになりました。外食の頻度が多くなりました。お弁当を買ってくる日も増えました。母が父に気を使って、なかなか外食を言い出せずにいたことを思い出しながら、私は堂々と旦那に「今日、外食しよう」と言っています。

 

だって、疲れを癒すための時間確保のためには外食もやむを得ない、という理論を元にしてますから(笑)。

 

そして、今、介護問題が降りかかってきています。

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個人事業主として始めたばかりの今の私であれば、まだ辞めて専業主婦になることは可能です。そして、介護に専任することだって可能です。

 

でも、ここでも「無理をしない」ことにしました。

 

まだ、そこまで介護が必要とされていない状態の今、自らの夢を諦めて介護専任になることは「無理」をしていることになるのです。そうすると、またいつか「ブチッ」が来ます。

 

だったら、外部のサービスを利用する、ということが必要だと考えたのです。そうすれば無理をせずにすみます。

 

そんなのは冷たい、非情だ、嫁ならば舅・姑の面倒を見るのが当たり前と思う方もいらっしゃると思います。でも、不慣れな私が前面に出ても、お互いに嫌な想いをすることになります。それよりも専門家のアドバイスを受けながら、様々な方々とコミュニケーションを取っていきながら、専門家を交えたチームで介護をした方が良いと考えたのです。

 

今回の件でわかったのは、お年寄りは認知や体の問題も重要ですが、心の問題も重要だということ。体の問題はサービスを受けることで対応が可能ですが、心の問題は家族しか対応できないのです。「寂しい」「不安」といった気持ちに寄り添うためには家族が声をかけ、話を聞くことが必要だと思いました。

 

この舅・姑の心理的な動きを敏感に感じ取れるのは、旦那の妹たち(つまり娘たち)です。彼女たちは思ったことを私に言えなくても旦那には話します。それを元に旦那と私とで介護の方針を決めていくことにしています。

 

離れて暮らしているのですが、今までよりちょっとだけ、できる限り声をかけたり話を聞いたりする時間を多く取るようにすることが大切だな、と思っています。そうなると、土日はほとんどその時間にあてているので、このブログを書く時間の確保に今大変さを感じています。

 

ただ、それは自分で納得した上でしていることなので、無理をしているという感じはありません。

 

家事と子育てと介護と仕事と題して2回にわたり、私の両親と私のことについて話をしてきました。無理をしないことは、自分で自分を大事にすることだと考えています。ひとりの人間として自分を大事にする、家族のために自分のことを後回しにしない、実は、前回ご紹介した本の中の一節です。

 

来週は、かなり女性進出が進んでいる現代社会ですが、意外と女性は生き難い、と私が感じていることについてお話ししたいと考えています。

それでは、今日はこの辺で。 

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家事と子育てと介護と仕事 その1

今月は、女性と仕事について、お話ししていきたいと考えています。今週はそのスタートとして、家事・子育て・介護の連合軍VS仕事をテーマに話します。

 

突然、こんなテーマにしたのは、昨年末にある本を読んだから。

 

それは現FacebookのCOOである女性が書いた、女性視線の仕事と家事の話です。

 

とても面白かったし、女性の社会進出の見えざる敵について書かれた本は他に類を見ず、また、内容は頷くしかないほど事実に即したものだったので、挫折することなく読み終えた本です。

 

この本を読みながら、そして、今月は私の両親の命日がある月でもあるため、これをテーマにしてお話しするのが良いのではないか、と感じたわけです。

 

私の母は1995年2月、父は2004年2月に病死しました。なので、2月は命日月です(苦笑)。何もこんなに寒い日に、と思うのですが、こればかりは仕方ありません。

 

母が亡くなってから父は9年間、独りで生活をしていました。元気でしたし、もともと家事も一通りこなすことができていたので、何も問題なく過ごしていたのです。

 

ですが、ふと、父が漏らした一言を私は鮮明に覚えています。

 

「母さん(私の母のこと)は、炊事が嫌いだったようだ・・・」

 

私の反応は「何を今さら・・・」というものでした。

 

元々、母は非常に社交的なタイプで、どんな場所でもどんどん前に出ていく方でした。ですが、基本的にずっと専業主婦でした。

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パートの仕事を始めたのが、私が小学校6年生の時から。それからはずっと何かしらのパートをしていました。そして、私が高校生になる頃、自宅を改装して小さなお店を開きました。

 

そのお店は今でいうところのコンビニエンスストア。ちょうど東京や大阪でコンビニが出始めた頃でした。でも、「コンビニ」という言葉すら知らなかったので、単なる「タバコ屋」と呼んでいました。

 

扱う商品は、タバコ、お菓子、パン、ソーセージやハムなどの比較的日持ちする日配品、調味料類、ジュース・缶コーヒー、シャンプー・リンス・各種洗剤などの衛生商品、文房具、カメラのフィルム(デジカメ発売前の時代のため)と現像受付、クリーニングの受付、その他もろもろ。現在、コンビニにおいてある商品の中で、お酒(免許がなかったので)とお弁当類(日持ちしないため)以外はたいてい置いていました。

 

朝7時くらいから夜8時くらいまで営業していました。朝早くは学校へ行く前の子どもが文房具を慌てて買いに来ていました。また、夜でも起きていれば、自宅の玄関からお客さんが「ごめん!お願いできる?」と来ていたので、対応していました。

 

当時は、近くにスーパーマーケットがありませんでした。バス路線もなく、車で行かなければならないほど離れた場所にあるスーパーは夕方には閉店していたので、買い物は不便だったのです。ちょっとした買い忘れのものがあると、飛び込んでくる、という感じでした。基本的に定価販売ですから、割高なはずなのですが、そこそこにお客さんはあったようでした。

 

このお店の対応を、基本的に母一人で対応していました。父は会社がありましたし、私も学校があったので、昼間は母のみです。いつも「トイレに行く間がない」と愚痴っていましたが、私は特に気に留めていませんでした。

 

学校から帰った後やお休みの日は、私も店番することもありました。高校生の、少し反抗期的な私にはとても面倒なことだったので、積極的に協力することは全くありませんでした。

 

こんな状況で母は、家事とお店を切り盛りしていたのです。

 

父は食べ物の好き嫌いはありませんでした。ただ、好みが強く、洋食・中華より和食、洗練された食事より田舎料理を好んでいました。そして、それを暗に要求していました。それは、子ども心ながらに感じ取っていました。母が食事の用意に非常に気を使っていることも知っていました。

 

そして、たまにどうしても体がきつい時など、母は、父に外食したいと私に言わせるようにしていました。母が言うと怒りだす父でも、私が言えば外食するために車を出してくれます。父が外食の許可を出した時の母のホッとした表情を何度も見ています。

 

父は昔ながらの男性であり、食事は家でするもの、という考えを強く持っていました。外食は用事で外に出ている時だけのものだったのです。家にいるのに外食する、というのは父にとって大きな不機嫌の原因でした。

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私が結婚して専業主婦となった時のことです。私の婚家は実家から200km近く離れたところです。簡単に戻ることができなかったので、私としては実家に戻った時くらい、ノンビリしたいと思っていました。

 

でも、私が実家に戻ると、母は炊事をしません。「私だってノンビリしたい」と、材料だけ買ってきて、私に任せてしまいます。良くテレビドラマで、嫁いだ娘が実家に戻ると、ノンビリとテレビを見てる、と描かれていますが、私の場合は全く逆でした。

 

そんな時、母がボソッと「料理するの、あんまり好きじゃない」と言ったことがあります。「でも、女は料理するもんだから、してるけど・・・」

 

私も結婚していたので、その時の母の気持ちが良くわかりました。女だから料理をする、という決まりはいつできたのだろうとその時思ったものです。

 

それから数年後、母は持病が悪化し他界しました。

 

その後、父がぼんやりと、先の言葉をつぶやいたのです。「母さんは炊事が嫌いだった・・・」

 

「そうだね。女性だって炊事が嫌いな人もいるよ」と答えた私。

 

「そんなものなのか? 女性は炊事が好きでやっているもんだとばかり思ってた・・・」と父。

 

「女性も人間。男性だって料理を作るのが好きな人がいるように、女性だって料理を作るのが苦手という人はいるよ」

 

「そういうもんかぁ。。。」

 

父が突然こんなことを言い始めたきっかけは知りませんが、感慨深げにそう言ったのがとても印象的でした。

 

父も母も戦前生まれ。基本的に「男女七歳にして席同じうせず」の世界で生きてきました。男女は七歳から別々の部屋で暮らすこと、男女それぞれ別の教育をすることが基本なのです。男女とも別々に大きくなれば、異性がどのようなことを考えているのかを知らないままです。

 

知らないから、男性がは自身が考える女性像をパートナーの女性に求めるのです。逆に言えば、女性は自身が考える男性像をパートナーの男性に求めるのです。

 

私の両親の世代は、男が外で働き、女は家で家事・子育てをする、というのが普通でした。私自身も若い頃までは、それが普通でした。

 

だから、父にとって、女である母が炊事が嫌いだった、ということが驚きだったのでしょう。

 

もっとも正確に言えば、母は家事全般が嫌いでした(笑)。

 

もし、社交的で頭の回転が速かった母が今の世の20代だったら、きっと成績優秀のビジネスパーソンだったのかもしれません。そんな世界に憧れていた母であることも知っていました。でも、諦めていたのです。

 

そんなこと、できるはずがない、と。

 

私はそこに女性が抱える課題を見ました。

 

次回は、私自身のことをお話しします。

それでは、今日はこの辺で。

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今年のテーマを決めた!

ビジネストレーナーの安部です。大分のユーグレードで、研修プロデュースや人材育成に関するコンサルティングをしています。

 

 

前の会社を辞めてから、丸2年が経ちました。早いのか遅いのか、感覚的には「まだ2年」という感覚です。忙しさが、会社勤めの頃から比べると、2~3割減だったからだと思います。

 

~今日の目次~

 

ステップの年

 

昨年、「今から3年間は、ホップ、ステップ、ジャンプだ」と考えていました。特に大きな理由はありません。何となく「3年」というワードが出てきたので、じゃあ、最初の年である昨年は「ホップ」、2年目の今年は「ステップ」、来年は「ジャンプ」ということになっただけです。

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ちなみに辞めた最初の年は、大きな目標もやりたいこともまだまだ何も決まっていなかったので、カウントに加えていません。

 

なので、今年は「ステップ」の年です。

 

で、何をするのか(苦笑)。

 

何をするんでしょうかねぇ?(笑)

 

大まかな考えでは、昨年は事業ネタを考えて、それを今年は実行して、来年は発展させる、という感じです。

 

昨年はセミナー企画という事業ネタを考えたので、今年はひとまず毎月1回はセミナーをするようにしています。1月はすでに完了、今月は来週に予定しています。3月も実施する予定ですし、4月も今準備に取り掛かっています。

 

個人事業主になった時、どんなことをするのか、聞かれました。創業セミナー等では「やりたいことは何ですか」と聞かれました。

 

しかし、これと言ってきちんと答えられた記憶はありません。「人材育成の……ゴニョゴニョ……」

 

これではいけないと思い、昨年はいろいろ「ない」頭を使ったり、いろいろな方のお考えを拝聴したりしたのですが、これっ!というものがわからないのです。その理由をぼんやりとこの正月考えていました。そこで、はっきりとしたコトを今日はお話しします。

 

やりたいことがわからない

 

私は、会社を辞めた年から(つまり2年前から)、業務日誌をつけています。日ごろ何をしたのかを記述しておかないと、自分の記録が全く残らないと考えたからです。

 

会社に勤めて入れば勤務中に作成したファイルやメールが残っています。

 

でも、私の場合は、毎日職場でアウトプットするわけではなく、時間も場所も日によって異なる働き方です。なので、その日に何をしたのか、記録に残そうと、会社を辞めると決めた頃に「3年日誌」を購入し、12月末に辞めたその翌年の1月1日からずっと書いています。

 

昨年の今頃の記述を読むと、創業セミナーについての記述があります。地元の商工会議所主催の創業セミナーに参加していたのです。そこでの最後に「自分の事業についてプレゼンをする」というのがありました。

 

結構、真剣に考え、今とほとんど変わらないものを作り上げたのですが、プレゼンするのに心理的な抵抗感がとてもありました。その実態は何か、ということです。

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それは、「その事業が成功するかどうか、わからない」という不安です。

 

こんな不安があるのに、「私はこれをします!」と宣言するようにプレゼンするのが辛かったのです。自分の事業計画に不備があることがわかっていたのに、「できる」ように話をすることができないと感じていたのです。

 

例えば、非常に売れている商品があり、その商品を取り扱う、という事業であれば、それなりの予測を立てることができます。しかもその商品が消耗品であり、価格帯も比較的安いモノであれば、売上予測は立てることができます。

 

でも、東京では売れているけれど、地方での販売実績はわからない、という場合になると、少しだけ予測が難しくなります。

 

それでも売れ筋商品であれば、それなりの売れ方はするでしょう。

 

もしかすると、地方で売れているけれど東京では…の方が商品によっては予測が難しいものもあるかもしれません。

 

ニーズはありそうだ、でも、売上予測を立てるのが非常に難しい商品やサービスの場合、おそらく誰も予測を立てることは難しいのだと思います。それは、プロの経営コンサルタントの方であっても、です。

 

それを創業セミナーの時全く気づきませんでした。その時は、「なぜ、誰も予測した結果を教えてくれないんだろう」と思っていたのです。なんておバカなんでしょう、私って。

 

未来のこと、ましてや、自分が経験したことがない世界のことを予測するのは本当に難しいのです。誰もできないことだと言っても過言ではないと思います。

 

それを要求すること自体、無謀なコトである、ということに気づいたのは、創業セミナーが終わってずいぶん時間が経った頃です。そして、それを少しでも予測可能にしていくツールとして「マーケティング」があるのだということです。

 

マーケティングは、不確実な未来をより確実性の高いモノにするツールですが、未来の不確実性は更にその上を行くのです。

 

創業時に、何となく不確実な世界で生きていくことになるんだろうな、とは思っていたものの、どこか自分事には思えなかったのです。でも、昨年ずっと考えていたことで、これがようやく自分事になってきたという感触があります。

 

そして、だからこそ、ちゃんとマーケティングを学びたいな、と思うようになりました。

 

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マーケティングというと、「マーケティング4P」といったツール群を紹介する本やサイトが多くあります。また、コトラーの企業戦略といった考え方を紹介されます。そういったことも大切だと思います。基本として学習すべきだと思うのです。

 

ただ、個人事業主がいきなりリーダーのフルライン戦略を採用することは不可能です。個人事業主はやっぱりニッチャーにしかなれないわけなのです。

 

それではニッチャーであればこそ、どのように顧客を獲得していくのか、といったことが必要なのですが、これが未来の話なので、めちゃくちゃ不確実性が高いのです。

 

顧客が何らかの環境の変化で欲しがって大ヒットとなった商品はたくさんあります。逆にニーズは確実にあるのに、なかなか売れずに終わった商品・サービスもたくさんあります。

 

昨年受けた創業セミナーで、講師の先生が説明しようとされていたのですが、私が理解できなかった点はここにあるのか、と、一年たった今、ようやくわかったような気がします。

 

私の今年のテーマ

 

なので、私自身の今年のテーマは「インプット」です。学習の年、ということですね。

 

特に「行動経済学」といった過去を学習することと、「集客」や「マーケティング」といった未来を予想する技術を学習することを中心に据えたいと考えています。

 

基本的に昨年の10月くらいからインプットを想定した行動を行っていました。

 

12月はチラシ作りに役立てようと、「カラーコーディネーター」の学習をして、3級合格をしました(大したことではないのですが、大まかな体系は理解できたと思っています)。

 

また、今年に入り、いくつかの大型の研修を受けてみようと現在模索中です。一つは既に決めました。もう走り始めています。後もう一つくらいは受けてみようかな、とは思っていますが、予算的にどこまで出せるかが問題です(苦笑)。

 

年始に思いつきで買った占いの本。普段、占いは滅多に読みませんし、読んだ瞬間に内容を忘れてしまいます。また、本格的に読むのはその時期が過ぎてから、という人間なので、深い意味はなかったのですが…。買ってびっくり。どうも今年は最悪の年らしい(苦笑)

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※時期が過ぎて読むと、その占いが「当たっていた」「当たっていなかった」ということがはっきりわかるので、ある意味、面白いのです。

 

なので、インプットしながら大人しく過ごす、ということは占い的には「アリ」らしいのです。

 

どこまで我慢できるか、わかりませんが、ひとまず「インプット」、やってみます。

 

次回は、ある本をご紹介して、そこから思ったこと、感じたことなどを全体的に1ケ月通してお話ししたいと考えています。

それでは、今日はこの辺で。

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そうだ!セミナーに行こう!

「人前で話すときに行くセミナー」

~セミナーだけどプレゼントレーニングするよ~

 

来年度こそ、上司に

「あれ? ちゃんと話せてるじゃん」と言わせましょう!!

 

どうしても人前で話すとき緊張してしまう・・・

しどろもどろになってしまって、聞いてもらえない・・・

何を言っているのか、わからないと良く言われる・・・

そんな時は、トレーニングでわかりやすく話せるようになりましょう!

 

日時:2月6日(火) 18:30~20:30

場所:ホルトホール大分 セミナールームL

講師:岩川 義枝先生(トークの達人)

詳細・お申込みはWebページから!    

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「職場の人間関係を良くする伝え方」

 

職場内の人間関係は職場の業績も左右するほどのことが起きることがあります。

また、人が辞める原因も人間関係が多くあります。

 

  • 他人になかなか言いたいことが言えない
  • 頼まれるとなかなか断れない
  • 言えずにストレスがたまることが多い

今回は、こういった方々向けのセミナーです。職場でも楽に生き生きと活躍できるために、伝え方を学んでみませんか?

 

職場の中で自分の言いたいことを事を荒立てることなく伝えることができるコツについて、産業カウンセラーが伝授します。

 

日時:3月9日(金)13:30~15:00

場所:ホルトホール大分 セミナールームS

講師:次郎丸雅子先生(産業カウンセラー

詳細・お申し込みは2月1日よりWebページで!

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